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「安ければ安いほど飯は美味い」は嘘かもしれない
おおにしたかやです。
最近は在宅作業が多いので、お昼ごはんを自炊しているのですが、朝ごはんで余ったご飯と冷蔵庫にある食材でつくる、闇鍋ならぬ闇チャーハンをつくることが多いです。
コース料理童貞を卒業
人生初の経験
僕の24年間の人生を思い返すと「コース料理」というものが、おそらく初めての経験な気がします。
僕の実家は決して細いとは言えない(他人から見たら太いくらいの)生まれなのですが、細々と生きていたので、お祝い事のご馳走なんて「隣町のスシローに連れてってもらえる」が頭打ちでした。
もう時効なので許して欲しいですが、「スシローのコーヒーが高い」と言う理由から、コーヒー粉と砂糖をブレンドしたものをラップに包んで持参して、湯呑みでコソコソ飲んでたくらいのケチです
そんな僕が、「1樋口一葉 / 1人」のコースに行ったものですからブログぐらい書きますよ。そりゃ。
美味しかった
肝心のお料理はとっても美味しく、「まだ扁桃腺に食べカスが溜まっているんじゃないか」ってくらいには鮮明に旨さの記憶が残っています。幸せだったなー。
フェスすぎてご飯代が実質タダ
あと、お店の音楽がずっとNujabesで、「ここは最高のライブハウスか!」「大将!ナイスDJ!」とずっと思っていました。
もはや、
お金を払ってライブハウスに行ったら、天ぷらが実質タダで食べれた
気分でした。
店で食べる天ぷらってプライスレス
一応お食事の話もしておくと、天ぷらの衣が中学生の読書感想文の内容レベルに薄く、
お家じゃ絶対作れないなあ
そう考えると価値があるなあ
と思いながらムシャムシャ食べていました。
ご飯に「費用対効果」を持ち込む癖
自分を納得させるための言い訳
ここまでウダウダ「実質タダ」だの「プライスレス」だの言ってきましたが、それは「高いお金を払っている事実を中和するため、自分を納得させるための言い訳」だなと最近思うのです。
つまり、僕は天ぷらに対して素直に
味が美味しくて幸せじゃん!
とだけ思ってれば良いんじゃないかとよく考えるのです。
費用対効果を考えてしまう
僕は、「ご飯」のような一過性のモノに対して「費用対効果」を考えてしまう節があります。
例に漏れず、遊園地や旅行のような「余暇」についてもそうです。
逆に言えば、家具やガジェットのような長く使い続けられるものに関しては、高くついても厭わない傾向があります。
費用対効果を考えてしまった事例
名古屋旅行で、3500円のひつまぶしを食べているとき考えていること
めちゃくちゃ美味しいけど、この幸福感はせいぜい2日で忘れるんだろうなあ。 松屋の500円でもお腹いっぱいになるし、浮いた3000円でAnkerの良いモバイルバッテリー買えば、数ヶ月は幸せになれるのになあ。
松屋で、牛丼を食べるときに考えていること
1番コスパが良いのは、牛めし並盛を食べるに決まってるよなあ。 スーパーで大量のキムチが200円くらいで買えるのに、ここで少量のキムチを100円でトッピングするのは「負け」だよなあ。
牛角で、焼肉を食べているときに思っていること
数ヶ月に1回の焼肉楽しいなあ。肉さえ食べれれば幸せだもんなあ。 高くて美味い肉を頼みまくるより、安い肉と大盛りの米を食べる代わりに牛角に来るペースを2倍にしたほうが幸せなんじゃないかなあ。
「他人の金で食う飯は旨い」の本当の理由
「他人の金で食う飯は旨い」とはよく言ったものですが、それは方程式だと
幸福度 = 美味しさ / 費用
みたいなもので、費用がゼロに近づけば近づくほど幸福度が発散するのでく。
「安くて美味くてラッキー!」「高いけどイイよね最高!」を両立できるようになりたくて、方程式だと
幸福度 = 美味しさ + ご褒美感
みたいな単純なものにしたい。
欲に対して素直になる
大学時代の友人
大学時代の友人で、欲に素直な人がいます。
すき家で1000円超えるくらいトッピングするし、ガチャガチャも気づいたら回しちゃういわゆる「愛すべきバカ」です。
ぼくはその真反対の人間であり、ずっと「なんだこいつ〜(ジョイマンのじゃない方)」と思っていたのですが、最近少しずつそれが羨ましいなあと思うようになりました。
1つの才能であり、真似しようと思っても簡単にできないこと。
好きなことに素直で、分かりやすくて、人間味が溢れてていいなあとおもうのです。
理性がボトルネックになってる
直感的・衝動的なことは言い換えると、「後先考えない」とも取れます。
しかし、社会・お仕事に触れ始めてみると、この世は意外とトライ・アンド・エラーで回っているし、信じたものをとりあえずやってみるって真理なのかもと感じてるところです。
今を生きる
これまでの話をざっくり抽象化すると、「過去や未来を見据えすぎている癖」があるのかなと思っています。
先述の「費用対効果を考えてしまった事例」なんて、まさに「過去や未来のために今を消費してしまう」に当てはまります。ああ頭痛くなってきた。
人生2023/11/7 15:072024/9/5 19:35