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人の動機を「手伝う」っていう動機もあるんだよなぁ。
今日のダーリン
なんか、昨日、いつものように「道場」をやっていて、「動機」っていうことばがあらためて気になった。「動機」って、あるとはかぎらないよねー、と。でも、「動機」がなくてなにかやっているって、どういうことなんだか、よくわからないことだよね、と。「動機」って、不純であろうがなんであろうが必ずあるんじゃないか、と思われているんだけど。つまり、金を稼ぎたいから仕事をやってますとか、よい人に思われたいから善行をやってますとか、そういうのはもちろん「動機」だよね。ニュースとかで「動機なき殺人」もテーマにされる。それは特異な困ったこととして、問題にされるのだ。犯罪に手を染めるにしても「動機」がないと、理解も共感もできないし、憎むにも気持ちがわるい。わかんなくさせられちゃうんだよね。とはいえ、ぼくらがいつも「動機」を持ってなにかしているかとじぶんに聞いてみたら、特に「動機」ってないよなぁということも多くない? 「動機」らしい「動機」がなくたって、いろんなことができちゃうからねー。
「ほぼ日」の仕事の循環という図があって、→「動機」→「実行」→「集合」→この3つのことが循環しているってイメージなんだ。「動機」はアイディアでもあり、「実行」は製造であり、「集合」は市場や支持などを表してもいる。ここでは、「動機」がとても重要な役割をしている。ただ頼まれたからやる、売れるからつくるじゃなく、「やりたいね」と思えることをしようという意味で、この「動機」を大事にするチームでありたいと思っている。しかし、「動機」ということばは強すぎないだろうか。それほど腕をぶんぶん振り回してなくても、「これはやりたいね」「おう、やろうやろう」とか、「やったほうがいいね」と思える出発点は、実際にある。「動機」から「意欲」をちょっと割引きしたような、そのくらいのイメージのほうが「軽やか」になれそうだ。
「動機」に代わることばがなんなのかわからないんだけど、あったほうがいいに決まってて、気軽に出発できる起点。まずは、それくらいの意識だけ持っていようかな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 でも、人の動機を「手伝う」っていう動機もあるんだよなぁ。
僕のタワゴト
「動機」って何なんだろうか。新卒就活をやっていたときによく考えたけど、明確な目標が合ったときもあれば、風の流れに任されて動いていたこともある。それでもなんとなく動いているのは不思議だよね。
「動機」から「意欲」をちょっと割引きしたような、そのくらいのイメージのほうが「軽やか」になれそうだ。 「動機」に代わることばがなんなのかわからないんだけど、あったほうがいいに決まってて、気軽に出発できる起点。まずは、それくらいの意識だけ持っていようかな。
これは何度もいいたい言葉だけど、「人間の言動に真意なんてない」。だからこそラフに動いてラフに動かなくなるのもいいのだ。その時いいと思ったことにコミットする。長期的な価値ではなく、今目の前にいる人の問題を解決することだけに集中する。だってたったの20年で生活環境は見違えるように発達し、それに合わせて、インターネットも進化と淘汰を繰り返しているから。ずっと変わらない不変の価値なんてない。とても脱線したけど、言語化する機会があれば何度でも唱えたいこと。目の前にいる人に新しい価値を。頑張ろう。