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つくづく、みんなおなじで、みんなちがうと思うのです。

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今日のダーリン
人間は、山や川や森のように、象やてんとう虫のように、自然がつくったものなんだよ。工場でつくられる人工物じゃない。材料を買ってくることもないし、コンセントからとる電気もいらない。もともと無料でできるものだ。自然物である人間と、もうひとり自然物である人間が、出会うことによって人間を授かる。
生まれてくる人間は、なにひとつ持っていない。道具も荷物もひとつもない。武器も防具も持ってないのはもちろんだ。その持ってなさたるや感心するほど。あたらしく生まれてくる人間は、あてにしているのだ。世話をする人間を、乳を服を屋根をなかまを。かならずもらえる、受けいれられると信じている。それを信じてなかったら、あれほど無防備でやってこられない。
すべての人間は、すべてそこから生きはじめている。そこからなんとかなったから、いまここにいるし、過分なほどにたくさんもらってきた。いろんなことを見て聞いて、いろんなものを持って使って、いろんな人間たちとまじわってきた。持ったものも見たもの聞いたものも、愛した人間もこころに浮かんだことも、憎しみやら悲しみさえも、どれだけ隠していたとしても、いずれなにもかも煙のように消える。でもその人間がいたことはほんとうだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 つくづく、みんなおなじで、みんなちがうと思うのです。
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僕のタワゴト
今日の「今日のダーリン」すごく好き。何度でも読み返したい。だから多めに引用させて欲しい。
生まれてくる人間は、なにひとつ持っていない。道具も荷物もひとつもない。武器も防具も持ってないのはもちろんだ。その持ってなさたるや感心するほど。あたらしく生まれてくる人間は、あてにしているのだ。世話をする人間を、乳を服を屋根をなかまを。かならずもらえる、受けいれられると信じている。それを信じてなかったら、あれほど無防備でやってこられない。
すべての人間は、すべてそこから生きはじめている。そこからなんとかなったから、いまここにいるし、過分なほどにたくさんもらってきた。いろんなことを見て聞いて、いろんなものを持って使って、いろんな人間たちとまじわってきた。持ったものも見たもの聞いたものも、愛した人間もこころに浮かんだことも、憎しみやら悲しみさえも、どれだけ隠していたとしても、いずれなにもかも煙のように消える。でもその人間がいたことはほんとうだ。
無防備な状態で生まれてきて、ここまで23年間なんとか生きてこれたのは、たくさんもらってきたから。気づいたらここにいて、ある種レールの上にあるベビーカーにのってここまでこれてしまった。そしてこれからの幸も不幸も森羅万象も同じようなもので深く考えなくてもいいんだろうなと楽になった。
ここからはちょっと脱線。出生主義とか半出生主義とか一時期調べていたことがあったので、ちょっと関係するのかなとか思ったり。(と言っても情けないくらいこれについてなにか強い思想も持ちあわせていないわけですが)
「生きるためのものをもらえる保証がないのに、死ぬまでに苦しみがない確信もないのに、無防備な状態でどこかにスポーンするものなんだよ」っていう見方をしちゃうと、半出生主義かそれに類する考えも否定できないなとも思いつつ、
愛した人間もこころに浮かんだことも、憎しみやら悲しみさえも、どれだけ隠していたとしても、いずれなにもかも煙のように消える。でもその人間がいたことはほんとうだ。
ってのは救いなのかな。