「スポーツであり、ゲームであり、毎日できる」って、そういう「遊び」が、もっと発明されたらいいのにね。

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今日のダーリン
・青森からあんずが届いたので、その日の夜にジャムにした。今日から新潟に行くので、その夜しかなかったのだ。深夜、約2キロのあんずが、すべてびんに詰められた。ジャムづくりは、ジャムそのものをつくる手間もだが、びんを消毒して、そこにジャムを入れて、さらに高温の水蒸気で殺菌するのがたいへんだ。でも、すべて終了したので、これからこの原稿を書く。あんまり考えたくない日と、考えたい日があるのだけれど、「野球って毎日やっててすごいなぁ」ということを書く。いまの時代、いろんな種類のスポーツがあるが、こんなに毎日のようにやっているスポーツはない。だから、「選手がなにもしていない時間が多すぎる」と、批判されたりもしている。たしかに、大谷選手にしても指名打者で出場しているが、その場合、打席に立っている時間と、塁上にいる時間以外はベンチで準備をしたり休んだりしているわけだ。外野手なども、打球が飛んでこないときには、観客には「なにもしていない」ように見えるだろう。サッカーやら、テニスやら、ほとんどのスポーツが、試合に出ている限りは激しく動いている。「それに比べたら、野球は…」ということになる。だからというか、たしかにそうなんだけど、「野球だけだよ、腹の出た選手は」とかも言われる(最近はあんまりいなくなってるような気もするけどね)。小柄で非力な選手、けっこう足の遅い選手などもいるし、高校を卒業したばっかりの年若い選手もいるし、中年のおやじみたいな選手もいっしょに試合している。そして、試合時間が決まってないし、とても長い。野球だけじゃないだろうか、こういう多様性というか、寛容性みたいなものがふんだんにあるのは。野球というものの古臭さだとか、アスリートっぽくなさだとかを、欠点じゃなくて、魅力だと思えばいいんじゃないかなぁ。他のスポーツが集中し過ぎているんだよ、とか、ハード過ぎるんじゃないかとか、思ってもいいよね。「スポーツであり、ゲームであり、毎日できる」って、そういう「遊び」が、もっと発明されたらいいのにね。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。仕事としては、毎日できるってすごくいいことじゃないか?
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僕のタワゴト
ぼくの最近の芸として、「野球をディスりまくる」というものがある。
野球ずっと座ってて、走るの全部合わせて1分くらいやん!バット振るのも10秒くらいだし、ジロジロ見ながら目の前のボールを見逃しちゃったりするんでしょ?
だからこそ、「多様性」というか「寛容性」が認められているのだ。
若い少年から中太りのおじさんまでが一緒になって楽しめる。小柄でも打てればいいし、足が遅くても代走を頼めばいい。他のスポーツより動かないからこそ、ラフに毎日楽しめる。
そんな充実した遊びがもっと発明されたらいいし、「自分のやりたいことを毎日できる仕事」ってのは幸せなことなのかな。