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全宇宙のことばを拾い集めても、つまり宇宙全体より小さい。

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今日のダーリン
一年に何度かは「黙祷」ということをする。だいたいは1分間なのかな。頭をすこし前に倒して、手のひらを合わせたりして、じっとしている。それぞれの人が、それぞれの心のなかでなにを思っているかはたがいに知らない。自然にか、合図があってか、やがて黙祷は終わる。
黙して祷(いの)る。いつから、どんなふうに始まったことか知らないが、人間の知恵がここにはたっぷり入っていると思う。人それぞれが、それぞれの祷りをささげるのだから、それをことばにして伝えよう、という考えもあるだろう。他の人の気持ちも分かち合いたい、という考えもある。拙いことばでもいいんだ、心こめたことばで祷ろう、という考えだってあるだろう。いまの時代だと、そういう考えの人も多いかもしれない。でも、いつからか続く黙祷という習慣があるので、ほとんどの人は、それにならって黙して祷っている。
それぞれの人が、口に出さないことばを、心のなかで組み立てている、かどうかはわからない。もしかしたら、1分間、文を綴っている人もいるだろうし、ただただ空っぽになって時を過ごしている人もいるだろう。祷る対象の名を呼んでいる人もいるだろうし、なにかの音をじっと聞いている人もいるだろうし、そのあとの用事について考えている人もいるだろう。どれも、すべて、それでよしなのである。黙祷とは、だれに憚ることのない時間でもあり、天と「わたし」しか知らない祷りなのである。黙することは、語ることよりもさらに、大きく、深く、広く、重いものなのだとぼくらは知る。
毎日、ここでこうしてことばをばらまいているぼくが、こんなことを言うのはお恥ずかしいのだけれど、おしゃべりであることは、あまりいいことではない。なんてことを、ここにことばで書いているのも、なかなか切ない矛盾なのだが、「黙祷」のような文章を書けないぼくは、「黙祷」ってすごいものだな、などとここに書く。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。全宇宙のことばを拾い集めても、つまり宇宙全体より小さい。
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僕のタワゴト
言語化や可視化。思いついたことをTwitterに投げればウン100人に伝わるし、心理的安全のためにテキストコミュニケーションに気を使おうなんてマニュアルもあるけど、どれもこれもことばが自分の外に転がっている感覚がする。
じゃあ、思いついたことをノートに書きなぐるだとか瞑想するだとかはなんだって考えたけど、これらは自分の内側で解決するもので「内省」。ぜんぜん違うね。
よく分かんなくなってきたので、黙祷、黙想、瞑想について調べてみた
  • 黙祷
    • 声を立てずに祈りをささげること。合掌や軽く頭を下げる行為を伴うこともある。心に目を向け外部をいったん切り離すという意味で、目をつぶる場合もある。
  • 黙想
    • 目を閉じて静かに自らの内面に深く沈思し、故人や神や自分の信じる信仰における絶対的な存在と触れ合い、故人への 思いや人生、生きることの意味について思いをめぐらす行為である。
  • 瞑想
    • 何かに心を集中させること。単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありあ りと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
これを3つ順にしているヒトもいて、「外」「外と内」「内」と順に自分を整えてるなんてやり口があるみたい。へー。
 
そんじゃここらで、ノンデリバツイチバカワキガで全部台無しにするか〜〜〜