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神戸大学にいる人、だいたい神戸大学生説

ぼくは、神戸大学の4年生。
神戸大学は、僕にとっては特別な大学なのだ。

僕にとっての神戸大学

僕は兵庫県の丹波市、電車は1時間に1本くればアタリのド田舎に生まれた。
キレイな石をコレクションしたり、駄菓子屋でアタリを透かしたり、山を登って源流を探したりして遊びを生み出していた。当時幻だったWi-Fiを探すため、DSLiteを振り回しながら隣町を徘徊したりもした。
最寄りの踏切。2時間に1回、1両編成のほぼ無人電車が横切る。
最寄りの踏切。2時間に1回、1両編成のほぼ無人電車が横切る。
家族構成はオカンとオトン、8個上のお兄、7個上のお姉との5人家族。
僕は小学校でそろばんを習っていたこともあり、将来はヤンキー商業高校に進学して、そのまま市の公務員とかに就職するつもりだった。
 
ところが、中学校でとある“ライバル”と出会うことになる。
その名は「後藤くん」、ドカベンの山田太郎のような優しい心と強い精神の持ち主だ。 ライバルとは互いに意識し合うからライバルなのであって、向こうはなんにも意識してなかっただろうからライバルではなかったのかもしれない。でも僕にとっては最も尊敬し、意識していた人物だった。
 
後藤さんに出会ってからというものの、負けず嫌いの僕は勉強に励むようになり、定期テストは毎回2~3位を取り続けた。もちろん1位は後藤さん。 それでも、2年3学期の期末テストだったか、1度だけ後藤さんに勝ったことがある。
美術の点数が良かったこともあり、僕の総合点は821/900点だった。意気揚々と後藤さんに総合点を聞くとほんの数点の差で僕が勝ったのだ。僕は素直に「やったー」と喜び、後藤さんも祝福してくれた。そういう人が後藤さんでそういう人が僕。嗚呼なんて分かりやすいんだ。
音楽は昔から諦めてたんよ
音楽は昔から諦めてたんよ
そんなこんなで田舎の公立中学ではあるが、「ガリ勉」というレッテルがピロピロと付いていた僕は、「折角だし」という安易な理由で、最寄りの普通科高校(偏差値49)に進学することになる。
高校では陸上部に骨を埋めた。特別大きな成績を残したわけじゃないが、あれは完全に青春と呼べるものだった。
 
しかし、高校生活を謳歌している中でも将来への不安はあった。 なぜなら、家族や親戚で大学進学した人がほとんどおらず、自分が大学に行くのかすらよく分からなかったから。
 
そんな中迎えた高2の3月、当時お付き合いしていた彼女にフラレてしまった。 キモくて諦めが悪い性格でキモい僕は、その子が神戸の大学を目指していると知り、キモいのは重々の承知でなんとなく神戸大学を第一志望に。これはかなりキモいぞ。
 
キモい上にマルチタスク苦手男なので、最後の総体と応援リーダーを終えた7月から独学で受験勉強開始。
武田塾のYouTubeを漁って参考書マニアになり、本屋に行くたびに参考書を買ってもらった。 中古で買えるものは、1円+送料でおなじみのAmazonで爆買いした。
8月からは家の自室に引きこもり、ほぼ日手帳で1時間単位の行動を管理。
愛用していたほぼ日手帳。
愛用していたほぼ日手帳。
10時間以上勉強できなかった日は自分を責め立て、泣きながら不可思議/wonderboyを聞いて自分を鼓舞した。
 
そんなこんなで努力2割、環境9割、運27割で、無事神戸大学に合格した。
ちなみに高3の4月の全統マーク模試は、偏差値44.9でした。
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模試一覧
 
受験は1発勝負。最寄りの河合塾まで電車で1時間かかる田舎では「浪人」という選択の余地はない。
一緒に神戸大学を受けた友達は2人ほどいたが、結局1人になってしまった。運27割は嘘だとしても8割くらいは運なのだろう。

見たことない人がたくさんいる神戸大学

神戸大学には、本当にいろんな人がいる。
 
大阪の私立進学校出身のガチ陽キャは卒アルが分厚いし、東大落ち後期神戸の男の子は麺すするの下手だし、青森から来た編入生はヘキサゴンを知らない。
神戸大学ってまあ世間で言えばパッとしないと言うか、もっと賢い大学もある。後期で唇を噛み締めながら来た人もいるわけで。
でも神戸大学には神戸大学生しかいないのなら、僕にとって18年間見たこと無かったような人しかいない場所とも言える。 だから楽しいし怖いしウキウキするんだ。本当に世界が広がったし、来てよかったなとつくづく思う。
 
そんな神戸大学の理学部には唐揚げが落ちているんだ。
 
 
 
唐揚げ?