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僕は店員さんを呼べないし、横断歩道を渡れない

以前、後輩の女の子とご飯に行ったのですが、「兄弟何人おるん〜?」レベルの会話の段階で、
 
たかやんさんってめっちゃ気ぃ遣うタイプですよね。それしんどくないですか〜?
 
と言われてしまいました。
 
あ、どうもやんぐたかです。やあ。
 
これを言われたとき、「それ言ってもらえると楽だ〜嬉し」と思いつつ、「そんなにかな〜」とも思ってしまったので、僕自身が「気を遣う」ときの思考回路を考えてみました。
 
以下は、2つのSituationに沿って考察してみます。

1. 店員さんに「すいませ〜ん」と言えない

僕とご飯や飲みに行ったことがある人なら分かると思いますが、店員さんを「すいませーん」と呼んだことがほとんどありません。
そこには、「恥ずかしいから」で片付けられないような、“引っかかり”が僕の中にあるのです。

条件

一応、このシチュエーションでの条件として、
  • 僕は急いでいない
を定義しておきます。
🤔
時間を急いでいたり、緊急のときは普通に店員さんを呼べます。 乗り換えが分からなくてヤバいときも、ちゃんと駅員さんに質問できるので。

思考回路

  1. 注目を浴びたくない
    1. シンプルに、僕はデカイ声を出して注目を浴びるのが好きではないです。
      おそらく、「穏便に物事を済ませたい」「悪目立ちしたくない」みたいなスーパー日本人的な思考に囚われているのが原因だと思います。
      それの思考には、従兄弟家族が人目を気にせず「我が道を往く」スタイルの家族で(声もデカイ)、なにかあるたび僕ら家族が尻拭いをしてきたという、反面教師的なトラウマがどこかにあるのだと思います。
  1. 店員さんを呼び止めるのは合理的でない
    1. メインの思考はこっちです。 ごはん屋さんでウダウダしている場合、僕が想像する店員さんの心境はこんな感じ。
    2. 僕:急いでいないので、店員さんを呼ぶタイミングは厭わない
    3. 店員:忙しい(たぶん)ので、暇な時に呼んでもらえたほうが嬉しい(たぶん)
    4. このように、店員さんの優先順位が相対的に自分のそれを上回るのです。

結果

したがって、僕のベストな行動は、
店員さんの様子をうかがい、作業が一段落ついて暇そうにしてる瞬間を見計らって、「あ、すいませんお会計で〜」と声をかける
というものになるのです。
こうすることで、
  • 僕:急いでいなかったので、待ったことによる損失・不快感はゼロ
  • 店員さん:ちょうどいいタイミングでお会計できたのでラッキー(なはず)
  • 僕:なんなら、うまく気を使えたのでちょっと満足
と、その場にいる全員がハッピーで合理的な空間になるのです。
 

詰みパターン

しかしこの思考回路には、“詰み”が存在します。 それは、友人とご飯に来たとき且つ、僕が店員さんを呼ぶべき空気だったとき。
この際、店員と友人、複数の気を使う相手ができてしまうことによって、
  • 友人のために、早く僕が店員さんを呼んであげないといけない
  • 店員さんのために、良きタイミングで「すいません」と言いたい
という2つがせめぎあい、脳みそがオーバーヒートするのです。
このシチュエーションなら、流石に店員さんを頑張って呼ぶようにしてます。 ただ、相当カロリーを使うので、しばらく肩を揺らしながらハアハア言ってると思います。
 

2. 横断歩道の前でクルクルしちゃう

僕は移動手段として、自転車をハードユーズしてるのですが、先程のケースと同じような思考が発生します。
それは、信号のない横断歩道で車と交差するとき。

条件

ここでも条件が必要になって、
  • 僕は特に急いでいない
  • 僕のほかに、一緒に渡りそうな人・自転車がいない
の2つを定義しておきます。

思考

この条件を満たすとき、
  • 僕:僕1人のために、車が止まるのは非合理的(燃費や運転手の手間)
  • 車:車は急いでいる(かもしれない。少なくとも停まりたいとは思っていないはず)
という理由で、僕は「車が優先されるべき」という判断に至ります。

結果

僕は、車を優先するために、その横断歩道を渡らないふりをします。 その場でクルクル回ってお茶を濁したり、ちょっと迂回してみたり。

補足

横断歩道前で止まってしまった場合、車は僕を優先するために停まってしまいます。 それでは、自身の気遣いがおせっかいとなり、“お見合い”する、とてつもない非合理的な時空を生み出してしまいます。
必ず、「ん?横断歩道??渡りませんが?」みたいな顔して、クルクルと回りましょう。お兄さんとの約束です。

最後に

この感覚を僕の周りの人に話したところ、1は割と理解してもらえるのですが、2を理解してくれる人はなかなかいない

おまけ

この「きぃつかい」のルーツを探してみると自分の3番目に古い記憶にありました。
5歳?あたりの誕生日におもちゃ屋さんで、クソデカプラレールセット(たぶんドクターイエロー)をおねだりしたのですが、そのときの母の渋そうな顔と、父親が商品をレジに置いくれたときの音を未だに覚えています。

追記(2023年11月6日)

コレって、自分と他人でダブルスタンダードを適用する「認知の歪み」なのかなって思い始めました。
最近は少し戸惑うものの、素直に店員さんを読んだり、自転車で渡ったりできるようになりました。