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僕は店員さんを呼べないし、横断歩道を渡れない
以前、後輩の女の子とご飯に行ったのですが、「兄弟何人おるん〜?」レベルの会話の段階で、
たかやんさんってめっちゃ気ぃ遣うタイプですよね。それしんどくないですか〜?
と言われてしまいました。
あ、どうもやんぐたかです。やあ。
これを言われたとき、「それ言ってもらえると楽だ〜嬉し」と思いつつ、「そんなにかな〜」とも思ってしまったので、僕自身が「気を遣う」ときの思考回路を考えてみました。
以下は、2つのSituationに沿って考察してみます。
1. 店員さんに「すいませ〜ん」と言えない
僕とご飯や飲みに行ったことがある人なら分かると思いますが、店員さんを「すいませーん」と呼んだことがほとんどありません。
そこには、「恥ずかしいから」で片付けられないような、“引っかかり”が僕の中にあるのです。
条件
一応、このシチュエーションでの条件として、
- 僕は急いでいない
を定義しておきます。
時間を急いでいたり、緊急のときは普通に店員さんを呼べます。
乗り換えが分からなくてヤバいときも、ちゃんと駅員さんに質問できるので。
思考回路
- 注目を浴びたくない
シンプルに、僕はデカイ声を出して注目を浴びるのが好きではないです。
おそらく、「穏便に物事を済ませたい」「悪目立ちしたくない」みたいなスーパー日本人的な思考に囚われているのが原因だと思います。
それの思考には、従兄弟家族が人目を気にせず「我が道を往く」スタイルの家族で(声もデカイ)、なにかあるたび僕ら家族が尻拭いをしてきたという、反面教師的なトラウマがどこかにあるのだと思います。
- 店員さんを呼び止めるのは合理的でない
- 僕:急いでいないので、店員さんを呼ぶタイミングは厭わない
- 店員:忙しい(たぶん)ので、暇な時に呼んでもらえたほうが嬉しい(たぶん)
メインの思考はこっちです。
ごはん屋さんでウダウダしている場合、僕と僕が想像する店員さんの心境はこんな感じ。
このように、店員さんの優先順位が相対的に自分のそれを上回るのです。
結果
したがって、僕のベストな行動は、
店員さんの様子をうかがい、作業が一段落ついて暇そうにしてる瞬間を見計らって、「あ、すいませんお会計で〜」と声をかける
というものになるのです。
こうすることで、
- 僕:急いでいなかったので、待ったことによる損失・不快感はゼロ
- 店員さん:ちょうどいいタイミングでお会計できたのでラッキー(なはず)
- 僕:なんなら、うまく気を使えたのでちょっと満足
と、その場にいる全員がハッピーで合理的な空間になるのです。
詰みパターン
しかしこの思考回路には、“詰み”が存在します。
それは、友人とご飯に来たとき且つ、僕が店員さんを呼ぶべき空気だったとき。
この際、店員と友人、複数の気を使う相手ができてしまうことによって、
- 友人のために、早く僕が店員さんを呼んであげないといけない
- 店員さんのために、良きタイミングで「すいません」と言いたい
という2つがせめぎあい、脳みそがオーバーヒートするのです。
このシチュエーションなら、流石に店員さんを頑張って呼ぶようにしてます。
ただ、相当カロリーを使うので、しばらく肩を揺らしながらハアハア言ってると思います。
2. 横断歩道の前でクルクルしちゃう
僕は移動手段として、自転車をハードユーズしてるのですが、先程のケースと同じような思考が発生します。
それは、信号のない横断歩道で車と交差するとき。
条件
ここでも条件が必要になって、
- 僕は特に急いでいない
- 僕のほかに、一緒に渡りそうな人・自転車がいない
の2つを定義しておきます。
思考
この条件を満たすとき、
- 僕:僕1人のために、車が止まるのは非合理的(燃費や運転手の手間)
- 車:車は急いでいる(かもしれない。少なくとも停まりたいとは思っていないはず)
という理由で、僕は「車が優先されるべき」という判断に至ります。
結果
僕は、車を優先するために、その横断歩道を渡らないふりをします。
その場でクルクル回ってお茶を濁したり、ちょっと迂回してみたり。
補足
横断歩道前で止まってしまった場合、車は僕を優先するために停まってしまいます。
それでは、自身の気遣いがおせっかいとなり、“お見合い”する、とてつもない非合理的な時空を生み出してしまいます。
必ず、「ん?横断歩道??渡りませんが?」みたいな顔して、クルクルと回りましょう。お兄さんとの約束です。