全体最適と正義

どうもどうも。おおにしたかやです。
 
今年の4月から新卒1年目ということで、社会の波に揉まれております。まあまだペーペーなので、社会の荒波の水飛沫をプールサイドで浴びてるくらいですかね。
 
現在は研修を終え、配属先でガンガン実務を体験しています。正直めちゃくちゃ楽しいです。就活は紆余曲折あったものの、居心地のいい場所で自分が楽しいと思えることができてます。今のところ毎日ワクワクで出勤できてますし、頑張りさえすればこれからもそうなんだろうなと感じています。
 
その一方でこれまで24年間で作り上げてきたメンタリティみたいな部分は、いい意味か悪い意味かどんどん変わっているのを感じていて、どこかもの寂しさを感じています。
社会人になって、そして学生を終えて1ヶ月で思ったことを書き残しておきます。

危機感ってすごい

ぼくジョージじゃないんですけど、危機感ってすごいです。
あれだけ朝起きれなかった僕も社会人になると出社できてしまい、あれだけレスが遅い僕もSlackなら即レスできてしまうのです。
これは「寝坊するとガチで終わる」「日々のスタンスが見られている」という危機感によるもの。
まだまだ慣れていないので、5時に目が冷めてそこからはずっと起きたり寝たりの効率の悪い睡眠をしていますが、人って順応できる生き物なんですね。

正義がある

一貫した正義

社会人になって実感したことは、「一貫した正義がありそれが共通認識になっていること」がこんなにも心地良いのかということです。
「社会をより良くするためにユーザーやクライアントに価値を提供して、その対価として頂く売り上げを上げて会社を大きくする」
ここまではどの会社も同じで、ここから具体的に自社がどんなポジションでどんなスタンスを取るのかをフィロソフィーとして社内に浸透させる。これってすっごいありがたいことなんだなと実感しました。

正義が多すぎる

ここ6年は大学というコミュニティで生きてきて、「正義が多すぎること」にずっと生きづらさを感じていました。
大学生は勉強するのが正義だけど、思いっきり遊ぶのも社会を経験するのも正義。
サークルの中でも、好きなことを好きなだけやるのも正義だし、こだわり抜いてガチで取り組むのも正義。辞めたり幽霊になるのも正義だし、協調性ある動きをするのも正義。
どの正義も大学生という世界では認められるべきだし、非難することができない。ただ、一人ひとりがどれをどのくらい正義だと思っているかは別で、「どこまで行っても自分の正義は誰かの正義ではないんだろうな」と思いながら6年間過ごしてきました。

研究でいえば

学業でいうと、僕は「自分の研究領域を楽しみながら、プラスの学生2年をまっとうしたいな」くらいのやわらか修士生でした。ただ同期には、学会に行ってセミナーに登壇して論文をパブリッシュしたいみたいな人が多く、コミュニケーションの節々にしんどさを感じていました。
ここで「まあ修士号とれたらええやんけ」と思える図太さがあればいいのですが、「皆さんが模範的学生ですよね…すません…」と思ってしまっていたのが精神衛生上よくなかったです。

サークルで言えば

「I don’t give a fxxk」的なギャルメンタルを持ち合わせていれば良いのですが、そういうわけにもいかなかったので、アカペラでは特に難しさを感じていました。
僕は長く続けたグループでいい景色を見て報われたいし、好きなメンバーやサークルがもっと大きくなるといいなと思って活動してきました。その中で僕にできて必要な手段が動画編集だったりバンドコンセプトだったりしたわけです。
でも自分がやってることに胸を張り切ることができず、外から見たときに”シャバい”、”イタい”と思われうるんだろうなというのがすごく自分の引っかかる部分でした。実際に動画文化を毛嫌いしている人は一定数いますし、どのスタンスをとっても前方面に好かれるのは無理なんだろなを感じていました。
💭
ここは、解像度の話にも通ずるのかなと思います。僕は音楽に明るくないので何でも「それもありやね」と思えるのですが、突き詰めると「アーそれは違うな」と感じてしまうのも仕方ないのかなとも思います。ただTwitterで空リプ飛ばしてお気持ち表明するのは違う気がしてます。

社会たすかる

社会では極論、売り上げを上げるなら法とモラルと軸さえ守ればどんな手段を用いてもいいし、それが試行錯誤でありグロースハックと言えます。
なんでここまで学生と社会ではスタンスが異なるのか考えたときにやっぱり学生は手段にあーだこーだ考える余裕があるからなのかなとも考えています。社会では、会社も個人も生死をかけてビジネスしているわけで、これも一種の危機感なんだろうなと。

全体最適

💭
言葉の意味がちょっとブレちゃいそうなので、今回はそれぞれの意味を以下のように扱います。
  • 全体最適=集団に対して最適化していくこと
  • 個人最適=個人に対して最適化していくこと

全体最適嬉しい

前項の話に付随する部分で、会社では正義が一貫しているので全体最適が全面的に認められるのが本当に嬉しいです。
プライベートは積極的に尊重されつつも、絶対に残業しないなんて人や給料さえもらえたら良いみたいな人は自然に淘汰されます。ここのプロ意識みたいな部分が学生時代にはなかったなと思うのです。

例えば

ずっとモヤモヤを感じていたのが、アカペラのグループ活動。
グループとしての目標がざっくりと立ててあり、それに向けて選曲や出るライブを決めていくフェーズがあります。
僕は、グループの目標を達成するために「その曲がふさわしいのか」「そのライブに出る意味があるのか」基準で意見を出します。ここではうざくならない程度に根拠を述べながら。
しかし、一緒に活動してきた多くの人が「自分はこうしたい」ベースで話している、そうでなくとも少なくともそう聞こえうる形で発言していたしていた印象でした。
僕としては、個人の気持ちは蔑ろにできないしどんどん言える環境にはしていたいという気持ちがありつつも、グループで1つの意思決定をする上ですべて汲み取ることはできないので辛い部分でした。

多数決

個人最適の一番しんどいところは多数決になることです。
客観的にどれだけ自分が正しいと証明しても、感情が優先されてしまうと建設的な議論にならないのです。
バーバパパも「少数派は声がデカい」と言いますが、これはマイノリティは主張が強いという解釈よりかは、声をあげても通らないレガシーな環境を示唆してるのかなと思ってます。

会社

今の会社は、そんな尖ったスキルも声を大きくしなくても通るのが嬉しいです。