スポーツの醍醐味は結果が決まっていないこと

💭
今日のダーリン
・もう、みんな知ってるんだろうな。ラグビー「イングランド対日本」の試合結果。日本時間の午前4時に試合開始なので、その直前まで眠っておこうと思っている。ぼくはそれに合わせて、先にこの原稿を書いておく。いままでは、朝までずっと起きていて、試合を見ることが多かったのだけれど、やっぱり先に睡眠をとっておいて起きることにした。試合が終わって倒れ込むように寝るのは健康によくない。これを書き終えたら、睡眠導入剤を飲んで寝るのだ。
さてさて、そういう場合の書き終えるはずの「これ」って、なにを書こうと思っていたのだろうか。それを考えずに、書き出してしまった。スポーツに関係のあることがいいな、やっぱり。よし、そうしよう。
スポーツというコンテンツ(たのしみ)の魅力は、「結果が決まってないこと」にあると思う。いかにもいま考えついたような冗談にしても、どうなるどうなるとハラハラさせるドラマにしても、つくった側にいる人は、その結果を知っている。すべて決められた台本がある場合と、おおざっぱな流れでやっていく場合と、どちらもあるとは思うけれど、落とし所は決まっている。おおよそ、いまの世の中は、ほとんどが、決まったこと、決められたことに向かって進んでいる。こうしてそうしてああなって、こうなる、と、説明できるようなことをやるのが常識になってしまって、そこから外れたものは「検討が足りない」と言われる。そういうなかで、限定された空間と時間のなかだとはいえ、スポーツの世界は、予測や枠組みがあっても、実際にどうなるのかが読み切れないものだ。ある考え方、ある情報によって、有利不利まではわかる。しかし、まったく別の要素が入り込んだら、とんでもない結果が見えてきたりもするのだ。
いまも、「いまだに勝ったことのないイングランド」と、「ずいぶん強くなってるぞの日本」が対峙している。結果を、いまのぼくは知らないで、わくわくしている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。未来のじぶんよ、いまのじぶんはこんなこと思ってましたよ。
💭
僕のタワゴト
スポーツの醍醐味は「結果が決まっていないこと」にあると思う。見逃したサッカーの試合も録画して見る気には到底なれなくて、せいぜいハイライトをチェックするのみだ。やはり醍醐味である「喜びと悲しみを分かち合う」というプロセスは、リアルタイムでの観戦でしか得ることができない。
対して今のビジネスは、徹底的にリサーチを行い、予測・検証することが求められている。結果ファーストでその道を切り開いていくのがセオリーになっている。
おおよそ、いまの世の中は、ほとんどが、決まったこと、決められたことに向かって進んでいる。こうしてそうしてああなって、こうなる、と、説明できるようなことをやるのが常識になってしまって、そこから外れたものは「検討が足りない」と言われる。
だからこそ、スポーツの「読み切れなさ」に人々は熱狂する。これは合法すぎるギャンブルだ。
スポーツの世界は、予測や枠組みがあっても、実際にどうなるのかが読み切れないものだ。ある考え方、ある情報によって、有利不利まではわかる。しかし、まったく別の要素が入り込んだら、とんでもない結果が見えてきたりもするのだ。
だいぶ期間が空きましたが、今日からエッセイ再開。