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逸脱しない練習を、ぼくらは熱心にやりすぎてきたからなぁ。

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今日のダーリン
・お笑いの芸人さんたちは、ある意味では、いまの時代のトップクリエイターと考えられている。トップクラスのお笑いの人たちは、芸能の枠組みに納まらないパワーを発揮している。思えば、いま最も注目されているウクライナの大統領は、事実、ひとりの喜劇役者だった。お笑いとは、意外なる逸脱である。人びとに規則的ななにかが見えているときに、それを外してみたり、消したり、別のものを重ねたりする。転げ回るような笑いばかりでなく、くすりと笑わせたり、ほっとさせるようなユーモアも、そういうものだ。想像できる次の時間を、規則的な思考を、ずらしてしまう。たくさんの笑いを職業的に生み出している人が、お笑い芸人なのだとしたら、彼らは、「意外なる逸脱」をひっきりなしに考えているわけだ。それは、いまの時代のヒーローになるに決まっている。
・だって、いまは、アイディアの時代なのだ。アイディアとは、これまた、つまり、「意外なる逸脱」なのである。想像できる次の結果を、規則的な思考を、ずらすことだ。同じことなのだが、それを表現として「ネタ」にもっていった場合には「お笑い」になるし、なにかの実用にもっていったら「アイディア」と呼ばれる。お笑い芸人は、「意外なる逸脱」を鍛えているのだから、そこから「アイディアマン」になることも技術のうちだ。
規則正しい並び、予想できる流れ、平均的な機能、失敗しないやり方、整理や整頓、説明可能性、計画性、そういうものは、世の中を構成している大事な要素である。ただ、それが生み出す価値も予想の範囲内である。「意外なる逸脱」から、あたらしい価値が生まれる。
「ユーモア(笑い)」「アイディア(ひらめき)」そして、おそらくはそれを歓迎する「フィールド(寛容)」。ぼくの直感ではあるのだけれど、そこらへんのことこそが、未来を生み出すと思っている。おまけみたいに言うと、「意外なる逸脱」のなかには、残念ながら「犯罪」というものも含まれるだろう。だからミステリー小説をみんながたのしめるんだよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。逸脱しない練習を、ぼくらは熱心にやりすぎてきたからなぁ。
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ぼくのタワゴト
規則正しい並び、予想できる流れ、平均的な機能、失敗しないやり方、整理や整頓、説明可能性、計画性、そういうものは、世の中を構成している大事な要素である。ただ、それが生み出す価値も予想の範囲内である。「意外なる逸脱」から、あたらしい価値が生まれる。
これはAIには難しいこと。ブレストの題材としてたたき台をいくつか出力されるなんてテクニックもあるが、そこから見えてくる目新しさは組み合わせによるもので、予想の範囲内に過ぎない。だから「意外なる逸脱」を歓迎するフィールドが必要になってくる。
アカペラのバンド名を決めるとき、「2秒で思いついたやろ」「流石にふざけすぎやね」みたいな案を言ってくれる子が1人はいる。正解を導き出すミーティングにおいてノイズとも捉えられる行為だけど、でもそれも逸脱を歓迎するフィールドを生み出してくれる大事な一案だってことを忘れたくない。
暗黙の規律から逸脱した人には、ポジティブな声がけをする
ミーティングにおいて心理的安全を意識する場合、逸脱したヒトに対して、極端にポジティブなフィードバックをすることが大事。それは意見の逸脱でもいいし、遅刻するという逸脱でもいい。ハードルを下げるというより、ハードルが当たっても委託なくらい柔らかいことを見せておく。
課題を「無茶振り」にすることで、意見の批判の矛先が揃う
アイデアを出すフィールドの寛容さを考えるの当たって、アイデアは否定から入ってしまうのが人間の性である。
自分の出したアイデアと反するアイデアがでたときに、自己否定を感じてしまう。これを解決するには2つの手法があって、1つは等価に並べておいて最後に絞ること。これはよく行われている手法かと思う。もう1つは課題を無茶振りにする。1つのアイデアでは太刀打ちできないような課題やアジェンダになっているとき、批判の矛先は課題に向く。課題に対してチームで団結して立ち向かう形にすることで、環境から「逸脱する練習」ができるようになるのでは。