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やっぱり「幸せな犯罪者」とかって想像できないんだよな。

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今日のダーリン
・前にも似たようなことを書いたおぼえがある。「泥棒した人のほうが、された人よりも不幸なんだよ」と、これは幼いころに祖母に言われたことだった。もちろん納得がいかなかったし、たぶん、いろいろと具体的な例を知っている人なら、「そんなことあるものか」と言いたい気持ちもわかる。ただ、どっちが得したか損したかの話じゃないんだよね。どっちが「不幸」かということを考えると、いつのまにか、ぼくもそういうふうに思うようになった。この泥棒と、泥棒された人という話をどうして祖母がしたかというと、かつて祖母は、泥棒されたことがあったらしいのだ。その恐怖が残っていて夜にうなされていたのも覚えている。それでも、盗んだ人のほうが「不幸」であると決めたのだ。
だれでもがしてはいけないと思っているようなことを、現実にする人がいて、される人がいる。暴力をふるう人がいて、暴力をふるわれる人がいる。悪いと知っていて騙す人がいるし、騙される人がいる。罵る人がいて、罵られる人がいる。つばをかける人踏みつける人がいて、される人がいる。それをこの世の中で裁くのは「法」や「倫理」だ。約束事で、なんとかバランスをとろうとする。しかし、ほんとうは取り返しのつかないことも多い。殴られる側の痛みは理不尽としか言えない。一部の人たちは、そのアンバランスに怒りを感じて、リンチに走ることもあるが、それも新しい悲劇だ。
そういうどうしょうもない濁り水のなかで、えらそうに言えるものじゃないのだけれど。「おまえを殴っているその手の持ち主は、おまえよりも不幸なのだ」とメモ書きをした。人を人と思わず殴る人になりたいかと聞けば、ほとんどが「なりたくない」と答えるだろう。それよりは、いやだけど殴られるほうがましだと。多くの人が「なりたくない」という側に立っているのは、とても不幸な人間なのではないかと思うのだ。ドラマなどでは、してはいけないことをする人間が、やたらに高笑いをしたりする。あれは、「不幸」を隠しているのではないだろうか。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。やっぱり「幸せな犯罪者」とかって想像できないんだよな。
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ぼくのタワゴト
犯罪とは遠い場所にいようとしているが、いざに巻き込まれたらたまったもんじゃない。自分の大切なものを盗まれる、大切な人が事故に合う、身内が金銭的な詐欺に合う。何事もなくすり抜けられたら良いなと思いつつ、一度くらいは直面してしまうものだと覚悟している。そのときのやるせなさを少しでも解決してくれるのが「法」や「倫理」や「保険」とされている。これは綺麗事に過ぎず、理不尽はまた理不尽を呼ぶ可能性だってあり得る。
「おまえを殴っているその手の持ち主は、おまえよりも不幸なのだ」とメモ書きをした。人を人と思わず殴る人になりたいかと聞けば、ほとんどが「なりたくない」と答えるだろう。それよりは、いやだけど殴られるほうがましだと。多くの人が「なりたくない」という側に立っているのは、とても不幸な人間なのではないかと思うのだ。ドラマなどでは、してはいけないことをする人間が、やたらに高笑いをしたりする。あれは、「不幸」を隠しているのではないだろうか。
戦争ものなんて「法」や「倫理」や「保険」で沈められる規模ではない、「経験」と「理性」でなんとか踏みとどまっている不安定な世の中らしいけど、「起爆剤」がちょっとした「不幸」だったら悲劇そのものだな。